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しゅっぱつしんこう!

三田村信行:文・柿本幸造:絵 1984年初版(小峰書店)
限りなく平凡に気持ちよさそうに眠っている男の子。この絵があるから後の絵も活きる
「ゆたかくん」が目の前の情景に心奪われ、吸い込まれていく様子が伝わる絵です

まずはこの題名、その表記から。「しゅっぱつしんこう!」としていますが、絵本の最後のページの下の方の書名欄にあったのは「しゅっぱつ しんこう!」

あ、やっちゃった、間違えたかも・・・とWebで調べたりしましたがどこも「しゅっぱつしんこう!」と間にスペースの無い表記。小峰書店さんのホームページでも、、、ん?よーく見ると『つ』と『し』の間がちょ〜っと空いてるか?いや無いか、、

小峰書店さんと契約書を交わした時の作品名もスペース無し、だったので指摘されてないということは・・・

というわけでこの紹介欄の題名表記だけはスペースを入れたものにしてみました。

悩んだきっかけになったのが本のカバーの袖(って言うんでしょうか?内側に折られた部分です)に書いてあった文

『しゅっぱーつ、しんこーう! しんごう、よーし! ぼく、でんしゃが、だいすきなんだ。』というところ。

そうか、運転手さんが指差ししながら声を発する様子を文字で表すと、、その人の発声の仕方にもよるでしょうが『しゅっぱーつ』と伸ばして一間、で『しんこーう!』はあり得る・・・とすると表紙ではちょうどその部分で改行されてるのでわからないけど、三田村先生としては、いや柿本先生が絵を描く時にその意図を汲んでなのか、一呼吸(いやここで呼吸はしないか?)分のスペース、ここにあるよと伝えたかったのか・・・・?

「うごく音えほん」版を作る時にはイメージを膨らませる材料として絵本の全部の部分に目を通しているつもりでしたが、制作時に気づいていないところがまだまだあった、ということですね、、絵本というモノの奥行きがスゴイということですね!お手元に本作の絵本お持ちの方はぜひいろんなところ、見てください。

さて、、、作品の話です。

電車好きの皆様からは『音』についておそらく多々指摘を受けるべきところがあるかと思います・・・許してください!

「うごく音えほん」は『音』を注意深く作ってるんですよねーー?はい、言葉もございません。

ようやく作品の話です。「しゅっぱつ、しんこう」します、、、

初版が1984年、昭和の終わりくらいの時期ですが私は時代感(古さ)をほとんど感じませんでした。電車の型や駅舎の形など部分的にはきっと全然変わってしまったもの、今ではありえないようなものもあるんでしょうがきっと全く気にならないはずです。大人の方々には記憶の中に確かにあった電車(列車)のイメージの典型的な色や形が描かれているからだと思いましたし、それは今のお子さんにとっても今日の電車の形に置き換えてもそれほど違和感のないものになっているんだと思います。それくらい電車というものがそのころから機能的な形に作られていたんだ、ということも言えるんでしょう。これがこと新幹線のお話だと少し「これいつの時代の新幹線?」感が出そうです。

この絵本、素晴らしいのは主人公の男の子の顔です。実は大きく描かれているページは少ないんです。冒頭の寝ている時の顔、電車のレバーを握る時の顔(「しゅっぱあつ しんこう!」と声を上げた後、前方を注視する高揚感あふれる顔です)、そして最後に自分のおもちゃを手にした顔・・・

この3つの顔でストーリーを語りきれるような素晴らしい表情が描かれています。絵本はやっぱり素晴らしい『絵』が中心だな、と思わせられました。そしてもう一つ、色彩感がなんともいえず奥行きがあり広がりのある(同じ?)背景の絵です。個人的に一番好きなのはゆたかくんの家の地下ホームのところの背景、、、その絶妙な明るさと、そしてなぜか音まで聞こえてきそうな描き込みにグッと引き込まれました。

そうそう、時代の話で言えば一箇所。今だと(当時も?)おおっぴらにはできないこともありました・・・

はしれ はしれ

きむらよしお:作 2010年(絵本館)
ライオンは生きるために・・・
ラクダも生き延びるために・・・
命懸けで相手を見続けたってことですね

表紙。絵、だけを見てもまずこの絵本のストーリーは分からないでしょう。ですが筆のタッチに動きを感じますよね。この絵本には図書館で出会ったと思いますが、表紙を見て「これは!」と感じました。読んでみれば結局この表紙が中身を結構語っていたのだ、と気付かされます。いや、ウソです、中身までは言い過ぎでした!ただ「はしれ はしれ」という白いタイトルがあることで全体としてダイナミックさを予感させていませんか?表紙の絵は静かな(あるいは重い)色合いの組み合わせです。それなのに走れ、というのはこの後に大きな動きがあってそうなるに違いない、と。図書館で手に取ってしばらく眺めていました。いつもまず表紙の絵はかなりよく見てしまいます。タイトルと表紙の絵がもう全て言い切っている作品もあります。それでも開いて読み進めるうちに引き込まれていくんです。絵本はおはなしの面白さで良し悪しが決まるものではないです。ストーリーを知ってしまったら興味が無くなるなんてものではないですよね。あ、話がそれました。表紙の絵です。色合いが下側に向かって明るくなり、白っぽくなって切り替わりで茶系の色合いになって、、、「ああ、空と地面(大地と言うべきですね)か」夜明け前だろうか、、、そう思うとなぜ初めからそれが分からなかったんだろうというほど空と大地でした。深海かな、って変に見ていたんですね。「はしれ はしれ」ですもんね、海の中じゃなさそうでした。さらに、よ〜く見るとですが登場人物(?)はもうここに居たんですよね。

この絵本、海外向けにも出版されていて、そこでのタイトルは「生きるために走れ」みたいな言葉だったと思います。

たしかにそういう内容でもあるのですが、そこになぜかしらユーモラスな空気が挟まれます。出版の絵本館の紹介文にもありますが「哀愁のなかにふとたちあがるユーモア」なんですよね。命懸けです。食べないと死んじゃいそうだし、食べられると死んじゃいますから、、、必死って決して真面目!だけじゃないんですね。もちろん死んでいいとは思ってないんでしょうが、瞬間的には諦めも出て、また思い直して立ち上がる、の連続です。

必死で相手の様子を探って間合いを図る・・・それをお互いがやりあうことで関係性が密になっていくんだな、と思いました。相手はこう考えているに違いない、ほらやっぱりだ、しばらく休むのか?じゃあこっちも、、、うわ!立ち上がったよ、、の繰り返しに学びがあるのでしょう。ある意味相手を思いやっているとも言えませんか?

「うごく音えほん」にするにあたっては背景の地面と空の表現には気を使ったつもりです。動くスピードの移動する大きさによっては変に目立ち過ぎたりします。主人公たちの心理も汲みながら、心電図?のように緊張感の上下などを大袈裟にならないように動かしました。音のほうでは冒頭のライオンが目を覚ますあたり、平原に登ってきたおひさま、ライオン、ということでホルンっぽい音で雄大さ、から音階が急に緊張感をはらんだものになる流れをつけました。ちょっと音でリードし過ぎかな、と何度も音楽なしで薄い情景音だけにしてみたりしました。今でも迷ってます、無くてもよかったかと思います。アプリで公開中ですがある日突然その部分の音楽が無くなったものに変わっていたら、そういうことです、、、ご意見お待ちしてます・・・

そして順序ではその前になりますが、まだ暗い空のところ、ブオーンという唸るような低めの音にしています。映像の方ですが実はここに最初のバージョンでは「はしれはしれ」というタイトルは乗っていませんでした。何が起こるか、というオープニングを狙っていたためだったのですが、試作を見ていただいた出版社の絵本館の有川さん(代表)より、ここにはタイトルを入れたほうがいいんじゃないかというご指摘をいただきました。

言わない方が、文字出さない方がいいんじゃないかな、、と当初はいや、このままいきたいですと主張しようかと思いましたが、まずは試してみるかと表紙のような題字の入った画作りをしてみました。

すぐに「ああ、そうかなるほど」と気づきました。まだ動きの見えない静的なところに白い目立つ文字で、「はしれ!」という動きを示唆する言葉をくりかえして「はしれはしれ」ですから、この後にダイナミックな展開が起こりそうだと予感させる力が数倍にもなった気がしました。有川さんありがとうございました、絶対あったほうが良くなったと感じます。ただ、「うごく音えほん」の版ではここの文字は絵本で言う表紙をめくった後の「とびら」と言われるページの題字の赤い色を採用させていただいております。とびらの絵はもう少しおひさまが登ってきて明るくなり始めた空なので赤い文字の方が映えるということなのかもしれません、絵本としては暗かった夜明け前の空(表紙の絵)では白文字がよかったのでしょう。これも何度も両方試しましたが、赤い文字を採用させていただきました。これもいつか気が変わって白い文字に変わるかもしれません・・・

図書館で目を引いた表紙です。タイトルを見てもよく絵を見なければ、いや見ても何が走るのかはまだ分かりません、読んでいくうちに実はこの表紙の絵の中にもういたんだということにもなりますから、こういうところはやはり「絵本」のほうでじっくりと楽しんで見つけてもらいたいなと思うところです。

なにをたべてきたの?

岸田衿子:文 ・ 長野博一:絵 1978年(佼成出版社)
お腹がすいてしかたない・・・この時は弱々しい顔ですね
果物の色を体から発してみんなからキレイになったね、と言われゴキゲン
ちょっと欲張ってしまい坂を転がり落ち、身につけた色を吐き出します
元のまっしろな姿ですが顔はイキイキと、周りにもそれが伝わって

私が幼稚園の頃にもあった!という方も多いでしょう。ロングセラーの名作です。「うごく音えほん」の制作を始めたばかりの頃にまず薦められました。制作者自身は実はこの絵本知りませんでした、、、それでまず一度読んではみたんですが・・・正直ピンときませんでした。ちょっと何を言いたいのかわからなかったんです。

まっしろなぶたくんが、お腹をすかせていろんな果物を食べていくうちにカラフルに彩られ、他のぶたさん達(色々な種類のぶたさんを教えてくれます)から「なんだかきれいになったね」と言われて気分良くなり、もっとキレイになれるかもとあるものを口に入れたら・・・というストーリーで、、、

今は自分なりに「ああ、そういうことか!」と遅まきながら掴めたところがあり「おもしろい!」となりました、なれました・・・長い年月支持されてきた作品だというのも分かります。そしてどうして最初から気づけなかったのか情けなく思いました。

見るべきものは主人公のしろいぶたくんの表情、その変わり方なのではないでしょうか。カラフルな色彩の方に気を取られてしまっていましたが、ぶたくんの顔を中心に見るとストーリーの中での軸みたいなものが浮かんでくるようになりました。

絵本の画像をスキャンし、どの部分が動いたらお話として、また映像作品として効果的なのかを考えていくわけですが、とにかくこの作品は作り初めの段階では前述したように内容の「軸」に気づけていなかったので、果物が口に入ってそれが体の中に落ち込み、色としてぶたくんの体を彩る・・・という流れにばかり気を取られてそちらの画像表現に注力していました。

そういう作り方ですすめていたので「これ、何が面白いんだろう、、、」となっていたわけです。

そのなかで、とにかく何度も何度も同じ絵を見ていくわけですが、ようやくぶたくんの表情の変わり方に気づきます。「あれ〜同じ白いすがたのぶたくんが始めと終わりでまったく表情が違うのは・・・」

情けなく弱々しく、背中を丸めトボトボと歩いている(絵を動かさなくてもそう見えますよね)・・・「お腹がすいているんだよ」

いろんな果物を食べて体にその色を纏い、周りから「なんだかキレイになったね」と言われ調子に乗ります。表紙の絵がこのあたりではないでしょうか、少しドヤ顔で傲岸な感じにも見える気がしてきます。

キレイになった、と言われ気分を良くし、「お腹が空いたから」とは関係ないキレイということへの連想でもっとキレイになれるんじゃないか、とあるものを食べちゃいます。

オイオイ、そりゃそうだろ、が分からなくなっていたぶたくんがそれを食べてお腹をこわし、結局は身に纏ったキレイな色を全て失ってしまいます。このあたりでは自分の気分よりも周りの状況変化が急激過ぎてそれに流されている受け身の顔、でしかありません。

ですが「ふぅ〜」と全てを吐き出した(失った?)ぶたくんはようやく落ち着き、失敗はしたけど安堵、という顔。

そこでみんな(色んな種類のぶたさん、主人公のぶたくんは違った見た目の他のぶたさんを羨んだり自分のプレーンすぎる外見を卑下したりしていたのかも、ですね)に出逢います。姿は結局もとのまっしろぶたくんに戻ったわけですがその表情は明らかに違ってイキイキとして、歩き方も自信に満ちている?ように見えます。そして「変わらない(まっしろだけど)ようだけど、少し大きくなった?なにとなにをたべてきたの?」と聞かれる、で終わっています。

そういう表情の変化に気づいて、一旦それまで作業していた画像作りの方向が果物の色とかぶたくんの外見の変化を描くことに気を取られていたなー、と「これは違う、ダメだな」とそのぶたくんの表情の変化を中心に組み立て直そうとしました。

それで、ややぶたくんの顔に寄った画作りに変えてみていたのですが、ここでまた「いやいや」となりました。絵本自体の絵はそんなクローズアップでは無いんだ。そこには必ず意味がある。それは見た人が気付けばいいことで、こちらからその意図を押し付けることもないのでは、と思い直し、よく分かってなかった時点で進んでいた方向にあえて戻してみました。

あまりネタバレし過ぎても、と思いますし、捉え方もそれぞれでしょうが、ざっくり言えばトライアンドエラーを繰り返して自信をつけてゆけばいいんじゃない、と言われているように読みました。そういってしまうとよくあるテーマじゃないか、となりますがこの絵本の幅の広さ奥行きの深さは見事です。会話に込められた裏の意味、絵で表された意味が読み取る組み合わせを変えれば幾通りにも解説が書けそうです。長い時代読み継がれる理由が見つけられてよかった、と思いました(遅い!)

あおいカエル

石井裕也:文 ・ 長田真作:絵(リトルモア)
かわずとびでる水の音、がします
男の子がつかまえようとしてピョン!
青の世界です、、青にのまれてみましょう

石井裕也:文 ・ 長田真作:絵 2016年





リトルモア

カエルくんが水面(?)から顔を出しています。目をつぶって・・・何やら思うところあるのでしょうか?この表情ひとつでこの本への興味がグッと沸きました(湧きました)。その後で気づきました、あおいカエル、、か。あお、ですがなぜか不思議に思わず見ていたんですね。ページをめくるとほとんど「青い」世界です。水彩なんでしょうか、にじみのある筆のタッチで使う色の幅が狭いのにいろんな質感をあらわしています。ページを覆うたくさんの魚や虫、葉っぱや雨粒まで。高級な陶器にもありそうな配色で絵としてもじっと見ていられます。水の流れを表すような青の粒はページの外までどこまでも広がっていそうに見えてきます、、、そうすると自分がその中に吸い込まれるような感覚になりました。これはやっぱり絵本で体験していただくのがいいと思います。「うごく音えほん」では表現しきれていない、できない部分のひとつがここにあるように思います。時間にとらわれず眺めていられる絵本の良さがはっきりわかる絵本ですね。

あかいおとこのこ、が出てきます。ぴょんと跳ねて池から飛び出したあおいカエルくんを追いかけます。このおとこのこがあおい世界に飛び込んで「あおにあふれた」体験をしていきます。

風が吹き雨が降ります。あおいカエルくん、絵本でいうとちょうど真ん中くらいのページで見開き一面のあおいうみに入っちゃったようです。私はこのページのどこかにあおいカエルくんが紛れ込ませてあるのでは、としばらく見入りました。これは海の水面ではなくカエルくんの体の一部の拡大したものか、とかひねくれもしましたが今のところ発見できていません、、、なのでこの本の中で私はこのページをいつも一番長く眺めます。どうしてもどこかにいそうで仕方がなくなるのです。

この絵本の楽しみ方、それぞれにあるでしょうが、私はそんな没入できる「トリップ」体験のようなものがとても魅力的です。ですから「うごく音えほん」として制作するときに、この絵本に関してはあくまでガイドに徹した方がいいと判断しました。細かく効果音を付けるよりは印象的な音だけ少し配置する、他はトリップ感を高められるような音を敷く、という設計です。それからカエルくんの「声」は使わないことにしました。それぞれが思うカエルの鳴き声を思っていただければよいと考えましたし、試しに声をつけてみたところ「カエル」という生物にフォーカスが向きすぎる気がしたからです。そもそも「カエル」はイメージとしての象徴で水中から陸上へと上がってくる、いわば二つの世界を行き来できる、しかも跳ねたり泳いだりもできる「動ける存在」として選ばれていると私は読んだので(だから青くても意外に不自然さが無かったです)。つまりひとつのキャラクターとして「あおいカエル」は「カエル」でなくてもいいのだと思ったというのが理由です。

世の中にリラックスするための方法はいくつかあるのでしょうが、一度身体全体にグーッと力を入れてから一気に脱力したときの解放感、というのもそのひとつだと思います。あおいカエルくんをページの中で探す、という集中をした後に、ああ、ここにいたか、という安心する感じの連続がそういうリラックス効果を発揮するかもしれません。何度も使える方法ではないかもしれませんがお子さんのお休み前に、カエルくんどこにいるかな、あ〜見つけた!をページをめくりつつ繰り返すと心地よい眠りに連れて行ってくれるかも?

どの作品もそうなのですが是非絵本をお手元に持ちつつ「うごく音えほん」の音を流しながらページをめくってほしいのです。それから今度はじっくりと時間の枠を外してぜひこの『絵本』を楽しんでほしいと思います。絵の本であることがとてもよくわかる作品としておすすめしたい本です。